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みかえる白書7

 初めての海外体験は、NYへのひとり旅。四半世紀を生きた記念の旅行だった。
 「無理!無茶!無謀!」と言われたが、行きたい時に行ける条件を整えられたのだから、行かなかったら一生後悔するかもしれないと思ったので出掛けた。
 実は出掛けるのに、「NYに行きたい!」と思ってから三年掛かった。其れも、旅行資金が貯まってから三年。……だって、私はヘタレの意気地無し。行く先は人種の坩堝、犯罪過多のNY。しかも英語はまるでダメ、何とか聴けても喋れない。洋楽と映画と会話教材とで、何とか喰ったりは出来るんじゃないかな?位のにわか英語を身につけて、不安満載で出掛ける事になった。
 高所・閉所恐怖症の私が飛行機に乗り、対人・牛・豚恐怖症の私が人種の坩堝で肉料理てんこ盛りの国に行くなんてまるで理に叶わない。案の定、飛行機の中では一睡も出来ず、離陸直後の二時間は顔を動かす事さえ出来なかった。此のまま十三時間も飛び続ける事を思うと、もう其の時点で後悔していた。
 初めての海外旅行なのに、NYひとり旅。元々田舎育ちの私は、大都会に圧倒され、高層ビルに圧迫され、ありとあらゆる人種の訛り丸出し英語に翻弄され、ビッコ引き引き毎日遠足のように歩き回った。セントラル・パークの蝦夷リスを追っ掛けるのも愉しかった。
 嬉しかったのは、何を食べても美味しかった事。ホットドッグ、フレッシュジュース、量り売りのサラダ、サンドイッチ……。特にロックフェラーセンター近くのカフェのモーニングは絶品☆だった。因みに一番不味かったのは、宿泊先のホテルのレストランのイースター・ディナーだった。……一番高かったのに!
 NY行きの目的の一つは、博物館巡り。
 自然史博物館では念願のティラノちゃんと対面した。以前の、直立に近い状態で飾られたティラノちゃんだ。考古学は素晴らしい!調査の結果、長年そうだと思われていたティラノちゃんの体型の誤りを認めたのだから。……そう。誤りは、認めたら直せるんだ。
 メトロポリタン・ミュージアムに、とある遺跡が丸ごと運ばれて展示されていた。砂色の美しい建造物だった。其の遺跡の在る国は、八年に亘る近隣国との戦争を漸く終えようとしていた。……どんなに大変な努力をして創り上げたものでも、其れがどれ程歴史的価値があるものでも、理不尽な戦闘に巻き込まれ、攻撃対象の地域に在れば破壊しつくされてしまう現実。そっくり同じ物を造れたとしても、歴史的価値までは取り戻せない。
 地理的にも頑丈な地質の上に建つNYの街も、もし戦闘に巻き込まれたら跡形も無くなるかもしれない。……事実、後年、世界貿易センタービルは崩されてしまった。
 歴史が長いとか浅いとかの問題ではない。どんな国でもヒトが居て、其々が自らの魂の為、必死に行を修めている。其の事実に向かい合おうとする意識があれば、戦争などしているヒマはない筈だ。相手を張り倒すより、握手に至る努力の方が、よっぽど達成感を得られて美しい。……あとどれだけ繰り返したら、ヒトは生命の目的に目覚めるのだろう。
 此の時メトロポリタン・ミュージアムで観た名も無い若い画家の描いた一枚の絵が、後に『彼諭流』に登場する「諭流の描いた《Angel’s eyes》」のヒントになった。美しい緑が一面に塗られ、遠くの山から手前まで川が流れていて、一番手前で滝になり、其の滝の脇に十字架が立てられ、若い男女が祈っている絵だった。観ていると、何故か視線が浮いているように感じた。
「もう少し上から覗いた感じに描いたら、所謂バード・アイっていう感じになるのかな?……ううん、違う。『天使の視線』だ!……よし!此のアイデアは何時か使ってやる!」
 と、心に決めた。
 NY行きのもう一つの目的は、追悼。
 高校在学中の十二月、彼が射殺された。彼は偉大な愛と平和の革命家であり、偉大な音楽家だった。私は彼が生命を奪われた場所まで行き、黙祷した。……今でも、彼と彼の歌は世界中で愛されている。世に『平和』が掲げられる時、何時も其の歌声が後押しする。
 犯人は「自分のモノにしたかった」という理由で彼を撃った。……何という利己主義!恐ろしい程の無知!彼は誰のモノでもない。彼自身のモノでさえないのだから。
 犯人は彼の『何』を自分のモノにしたかったのだろう?殺してしまって得られるモノなど何もない筈だ。彼は素晴らしい才能を持った音楽家だったし、多くの支持を得られる平和への代弁者だった。彼の『其の部分』は、彼の身体でもなければ顔でもないし、手や足や髪の毛でもない。犯人が一番自分のモノにしたかった部分は、多分彼の魂と共に《天》へ還って逝ってしまっただろう。
 彼は様々なヒト達に気づきを与え、精一杯の人生を送り、大歓迎の中《天》に迎えられたのだと思う。……残された我々は大変残念だ、もっともっと其の歌が聞きたかった。
 何故『銃』などというモノが創り出されたのだろう?外敵から身を守る為の道具という範囲を越え、武器になったのは何時からだろう?今も護身用として所持しているヒトは沢山居るだろうが、其の目的は既に抑止力を超え、敵の動きを奪う事になってやしないだろうか?
 ……ねぇ。あんなに大切なヒトが亡くなったんだよ?皆に影響を与える事の出来たヒトだよ?其の生命を瞬時に奪える武器が、未だ当たり前のように存在するのは何故だ?

Cosmos-Michael

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みかえる白書6

 幼少の頃からの様々な神秘体験。居る筈ないモノ達を眺め、見えない文字を読み、音のない言葉を聴く。完全に私は「オカシナヒト」だった。自分自身「何てオカシナ奴なんだろう」と思っていた。普通に会社勤めをして、読書と音楽が大好きで、特別な事は何一つ出来なかったのに、どうにも『普通』に成れなかった。そんな自分が気持ち悪かった。
 本当に何処かがイカれているんじゃないか?と思い、精神科に通った事もあった。其の時医師はこう言った。
「貴女は狂いたいんでしょう?」
「はい」
「何故狂いたいの?」
「今の状況が苦しいから」
「狂えば其れが分からなくなると思ったの?」
「はい、其の通りで御座居ます」
「おバカさんねぇ……」
 凄く大人で綺麗な女医は、真顔で反抗的な態度を取り続けていた私に微笑んだ。
「あのね、狂ってるっていわれてるヒト達は、時間が止まったままなのよ。『今が苦しい』って状況の中にず~っと居続けたままなの。其の苦しさが周りのヒトには分からないの。だから世間から離れて此処(病院)に居るの。此処の患者さん達は苦しい状況と闘い続けているの。何にも分からなくなったんじゃないの。ちゃんと分かってて、ずっと苦しい状態で居るの」
 言われている内容がどの位正しいのかは分からなかったけれど、『狂えば楽になる』と思うのは大きな間違いだよ、と分からせたかったようだ。
「貴女のように狂いたい理由がはっきりしてるヒトは、狂いたくても狂えないわよ。実際患者さん達は自分が狂ってるなんて思ってないもの。逃げる為に狂いたいなんて、そんな風に思うのは失礼よ」
 でも苦しい、でも苦しい、でも苦しい!
「あのね、貴女は感受性が豊かなの。例えば水道からコップに水を汲むでしょう?普通のヒトにはただ其れだけの事なのに、貴女は他人の何倍もの事を感じてしまうのよ。そして其の全てに名前を付けようとするの。で、パニックに陥るの。其れはね、経験してない事には、付ける名前が直ぐに見つからないからなの」
 ……成程。
「でも悲観する事はないのよ。感受性が豊かだって事は、生まれ持った才能のひとつなんだから。だからいいの。直ぐに名前が見つからなくても、パニックにならなくていいの。名前が付けられなかったら、引出しに仕舞えばいいの。其の経験を愉しんで、分かる時まで仕舞っておくの。……いい?感受性が豊かなのは才能なのよ?誰かが持とうったって、持てるものじゃないの。だから大事になさい。生まれ持った才能は、貴女の武器(防具)になるのよ」
 当時二十二歳だった私は、幼稚園児が『お片付け』をする為の『お道具箱』を貰ったように嬉しかった。漸く、生まれ持った性質との付き合い方を学びだしたのだ。
 相変わらず日常の物語に振り回されて、感情的になったり凹んだりを繰り返したが、分からない事は一時の恥と訊きまくり、分からない感覚は名無しのまま、一先ず引き出しに仕舞う事を憶えた。

 其れから暫くして、或る日、大好きな歌を聴いていた時だった。聴いていたというより、私の周りで鳴っていた、という感覚だった。頭の中が真っ白で、視界も光って眩しくて、半分目蓋を閉じたような状態で、瞑想しているような感じだった。
 其の時、自分の一番深い処から、
「『普通』なんてない」
 という《理解》が起こった。
「『普通』なんてない」
 と。
 私の一番属したいと願う『普通』という括りは何処にもなかった。私が成りたい『普通』のヒトは何処にも居なかった。『普通』という言葉はただの呪文だった。辞書に書かれているような「同じようなモノ・事が幾らでもある」状況は、実際にはなかった。
 そうゆう括りを設ける事で、『常識』という概念を生み出し、概念的である事を重視するシステムの中で、個性や其れに伴う具体性が置き去りにされのだと識った。
「そうなんだ」
 と呟いた。
 私は幻想の中で育って来たようなものだったのだと。私だけじゃない。殆どのヒト達が、『普通』という枠の中でしか生きられないように、コントロールされて来たのだと。何の理由もなく、没個性を強いられ、其れなのに「個性の時代だから」などという詭弁に誤魔化されて過ごして来たのだと。
 私の内側の世界が一旦崩壊した。今までの価値観が何の意味もないモノになっていた。如何に狭い括りの中で、成長を妨げられていたのかが分かった。
 『彼諭流』に出て来た《常識亡者》という言葉は、此の体験から生まれた。

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みかえる白書5

 好きで大変な生活をしたわけではないのだが、高校時代は可成過酷だった。……文字通り、働かざる者喰うべからず。

 高一の時の春休みに初めてバイトをして、オーブンを買って菓子作りの練習を始めた。此れに味を占めて、せっせと働くようになった。高二の頭には未だ土曜の午後と休みの日だけバイトしていたのだが、其の内放課後の空いている時間や長期休暇までバイト漬けになった。「働いてお金を貰っているなら、自分の事は自分でしな」との親の方針で。

 野球特待生で私立校に通っても学費の掛からなかった出来の良い兄と違い、公立でも学費の掛かる私は「金の掛かる娘」と思われたようだ。まぁ、余裕のある家庭じゃなかったし、働くのが苦になる性分でもなかったから、精一杯バイトした。

 最初は通学の定期代、学校の授業料、授業の実習の教材費、次年度の教科書代の積立金、修学旅行の積立金、上履きや通学用の靴代、部活動の活動費……。勿論、日々のお小遣いや昼飯代、夏休みの友人との旅行費も自分で用意した。

 ……本当に、公立高校で良かった。私立なら到底無理だった。修学旅行の積立金が終わった時、どれ程ホッとした事か!其れに、払えるだけ稼げるバイタリティと、バイト先の理解があって良かった。

 公立校の両親が揃っている生徒が、日常的にバイトをするとは何事だ!って、担任とは(特に高二の時の)だいぶやりあったけど、働かなけりゃ卒業出来なかったんだから仕方ない。何故そうしなけりゃならなかったかとか、細かい事情まで分かって貰えるとは思えなかったから、誰も何も話さなかった。友人達も何も知らなかったから、バイト料が入る日は皆がタカリに来た。事情を知られたくなかったから、日々の小遣いを削っても、ジュースやコーヒーを奢った。

 歯を食い縛って働けば何とかして食い繋いでいく事は出来る。人に情けをかけて貰うよりは弱みを見せずに装いたい。……貴重な経験を積んだが、本っ当に見栄っ張りだった。

 でも、卒業間際に親友には事情を話した。話さなければ、進学出来ない理由を納得してくれなかったから。……我が家には余裕が無かった。事実「バイトで稼いでいる」のだからと、小遣いやお年玉も貰えなかった。女である私に「此れ以上の教育を受けさせても元は取れない」といったような事も言われた。小学生の時から「教師か保母になれ」と言われてきた私には、一気に何の未来設計図も無くなった。まさか学費が確保されてないとは思わなかったし、幾らなんでもバイトで大学の入学金までは稼げなかったし、奨学金制度について何も知らなかったし、思いつきもしなかった。受験する心算で居たから、勿論就職活動もしていなかった。

 だが、真面目なスカート丈でしっかりしたカバンの厚みが常にあった私は、生徒課の先生と進路課の先生の計らいで、某有名メーカーにほぼ無試験で推薦して頂き、無事就職する事が出来た。高校三年の二月。数日後の卒業式を待つばかりの時だった。……進路課の先生方、其の節は大変お世話になりました。感謝しております

 取り敢えず、真面目に一生懸命生きてさえいれば、何処かで誰かが見てくれているみたいだな、と思った。……明けない夜はないのだな、と。

 ただ、就職先の寮は違う意味で壮絶だった。……何故なら、寮の中は『既に身体から離れたヒト達』のオンパレードだったから!


 十九歳の誕生日を過ぎた頃、フッと『既に身体から離れたヒト達』を観なくなった。そうなると不思議なモノで、じっと目を凝らして彼等を捜したりしてしまう。でも観なくなった。……UFO以外は。(う~ん!シブトイぞ、UFO!)

 私は漸くホッとした。此れで『普通』に成れるかもしれないと思って喜んだ。

 此の『普通』っぽく居た頃、初めて哲学的なモノに触れる機会があった。当時好意を抱いていたヒトに勧められた、パグワン・シュリ・ラジニーシとかいうヒトの弟子が師の口述を書いた物で、朧気な記憶によると『大いなる大河』とかいう本だった。……正直に言おう。全く分からなかった。理解出来るか出来ないかより、文字を読むだけで疲れ切ってしまった。文章として読む事が全く出来なかった。受け入れる姿勢が出来ていなかったのだと思う。

 好意を持っていたヒトは其の教えの素晴らしさを滔々と語ったが、気の聞いた答えを返す事さえ出来なかった。……頭の足りない奴だと思われたんだろうと、悔しかった。

 一年も経たぬ間に、また不思議モノを観る体質に戻ってしまった。……ガッカリだ。どうも私は『普通』という括りの中に入れて貰えないらしい。『普通』じゃないという事は、市民権を得ていないのと同じ位過酷だと思ってしまうのだけど。

 でも今度は『既に身体から離れたヒト達』じゃなく、何とも『不思議』なモノばかり。例えば、富士山の中腹に淡いラベンダー色の珠、空には金色に光る鱗を持つ白龍神、林の下生えの中を転げ回る茶色い地霊……。

 子供の頃から見ていたUFOは、相変わらず頭の上を飛び回っていた。此のUFOはシツコイ!或る時友人とふたりで旅行中、ずっと車について来た。何処まで行っても何処を曲がってもずっとだ。何をするでも無くずっと視界に居られると、観えなくなるのを心配していた。其れに、何処へ引っ越しても、必ずUFO関連の方達が訪問して来た。旅行先にもやって来た。あの方達がUFO関連なのは間違いないが、宇宙人かどうかは断定出来ない。居る間はずっと悪寒が走っているが、去っていくと何の感覚も残らない。

 『既に身体から離れたヒト達』は、其の存在を感じても観ないで居られるようになった。其処に居ると分かっていても、観ないように出来る感覚が何時の間にか掴めていた。

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みかえる白書4

 中学二年生の終業式間際、肺炎に罹り入院した。私は自宅で助産婦さんに取り上げて頂いたので、本当に生まれて初めての入院だった。此の時、生まれて初めて今生の器から離れ、俗に言う処の『臨死』を体験した。

 単なる風邪かと思い早めに床に就いたのだが、頭痛と寒気が治まらず、水も飲めない程具合が悪くなった。体温を測ると、水銀の目盛りがあっという間に四十度を越し、両親が「病院に連れて行こう」と救急車を呼ぶかどうか相談していた。結局呼ばずに父の車に乗せられ、意識が遠退く中病院に向かった。入り口で待機していた看護師さんに車椅子に乗せられた処までは憶えているが、後は全く分からない。気を失っていた。

 気づいたら、爪先立ちのまま少し前屈みになって宙に浮いていた。前方から風を受けていたのは、其の状態で前に進んでいたからだろう。私の進む場所が道のように真っ直ぐ延び、其の線上には誰も立たないように整えられているようだった。

 暫く進むと、道の両側に沢山のヒト達の顔が並んでいた。……皆知っているヒトだった。ほんの子供の頃に一度だけしか逢っていないようなヒトまで居た。皆が私に向かって「さようなら!」「さようなら!」と言っていた。物凄い速さで通り過ぎている筈なのに、ひとりひとりの顔がはっきり観えていた。

 どの位飛んでいたのだろうか。フワリと降り立つと、其処は背丈ほどの草むらの中だった。夕暮れのようなオレンジ色で、景色全体が薄暗く、ほんのり暖かい空気に包まれていた。……少しも怖さは感じない。カサカサと草を踏み締めながら行くと、大きな川の縁に着いた。ゆったりと流れていて、薄く霞がかかり、向こう岸が見えない位、広い大きな川だった。……やはり怖さは感じない。寧ろ心地良かった。薄暗くて暖かくて適度に湿気があって、居るのが苦になる場所だと思えなかった。

 ふと気づくと、向こう岸に、二年前に亡くなった祖母が、見知らぬ子供と一緒に立っていた。小学校の低学年位の子供だが、性別が分からない。おさげ頭だった気もするし、野球帽を被っていたような気もする。でも、祖母と一緒に居た子供はひとりだった。祖母は「祖母だ」と直ぐに分かったので、見知らぬ連れの方が気に掛かったのに、顔は見えず、特徴も掴めなかった。子供は祖母の方に右手を伸ばしていたが、手は繋いで居なかった。

 祖母は両手を口に添えて「来るか~?」と私に問いかけた。

 私は「未だいい~!」と答えた。

 此のまま行っても良いような気もしたが、行かなきゃならない理由も無かったし、留まっちゃいけない理由も浮かばなかったし、何故だか「未だ行けない」と思った。

 途端に祖母は泣きそうな顔をし、「だったら、早く帰んな!早く!早く帰んな!」と追い払うような仕草をした。『何で帰るの?こんなに居心地良いのに』と思い動かずに居たら、祖母は尚も追い払うように「早く帰んな!」を繰り返す。一緒に居た子供はじっと其の様子を眺めていたようだった。動きもせずに、ただ立っていた。

 不意に背中に呼び声を感じた。思わず振り返ると、目が開いた。

 其処は病院のベッドの上で、半泣きの母と医者が私を覗き込んでいた。……あと三十分手当てが遅れていたら死んでいただろう、との事だった。

 其のまま十日程入院し、春休みいっぱい伏せっていた。

 彼処は、俗に言う『三途の川』だったのだろうか?なら、祖母と一緒に居た子供は『渡し守』だったのだろうか?……今思い出しても少しも怖さは感じない。あの場所は心地良く、居難い感じはしなかった。

 医者の話が本当なら、私は死んでいたのかもしれない。

 よく「『三途の川』に行くと無性に渡りたくなるモノだ」と聞いていたのだが、私はあの時「未だ行けない」と思った。行きたいのを我慢したのではなく、「未だ行けない」と。でも彼処は心地良く、何時までも居たい気持ちにさせられた。川を渡った其の先が「何処か」も識っていたように思う。

Cosmos-Michael

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みかえる白書3

 小四からUFOを(其の頃は未だUFOという言葉も知らなかった)観るようになった。

 一番初めの遭遇は、『お空に浮かぶコッペパン』。
 なかよし山の滑り台から富士山方向を見ると、コッペパンのような物体が浮かんでた。……というより、いきなり現れたのだ。
「あれは何だろう?」と思い、瞬きする間も惜しんでじぃぃ~っと眺めて居たら、突然パッ!と消えた。
 暫くして、其の物体が「葉巻型UFO」の括りに入るモノだと同級生から聞かされた。……記憶は朧気だが、二度程乗せて貰った事もあるようだ。
 後年、富士山上空に富士山よりデカイ母船が浮かんでいた事があり、其の周りを小型船が街灯に群がる虫のようにバラバラ飛び回っていた。
 其の時、其の場には七人居たのに、観たのは四人で、他の三人には観えなかったそうだ。

 可成幼い頃から、よく『既に身体から離れたヒト達』にも遭遇した。
 ……いや、本当は遭遇したくなかったのだけど、遇っちゃったのだ。
 此の現象は十代後半まで続いた。

 黙って通り過ぎるヒトも居れば、襟首掴んで苦しさを訴えてくるヒトも居たし、子守唄を歌って寝かしつけてくれたヒトも居た。
 出来るだけ観ないようにしたのだが、気休めにしかならなかった。
 其の時は何でもないのだけど、翌晩眠る前に恐ろしさが込み上げて、布団の中でガタガタ震えていた。

 最悪なのが肝試しだ。「きゃ~、怖い~っ!」では済まない。
 小六のスクールキャンプの時、講堂で校長先生に散々怪談めいた話を聞かされた。
 終了時には、講堂に夥しい『既に身体から離れたヒト達』が集まっていて、天井付近をヒラヒラ舞ったり、ガラスに張り付いたり、皆と一緒に体育座りしたりしていた。
 其の状態でもギブアップだったのに、今から校庭に隣接する墓場で肝試しをするって言うのだ!
 私は怖くて怖くて泣き叫んだ!
 だって、『彼ら』に「行こうよ、行こうよ」と腕を引っ張られていたから!……同級生には怖がりだと笑われ、先生方や父兄の皆さんには騒ぎ過ぎと呆れられ、引き摺られるように墓場に連れて行かれた。
 結局動けなくなって蹲って泣き叫んだ私は、「此れは尋常じゃない」と思って下さった父兄の方に抱えられて墓場から出た。
 勿論、其の時何を見たのかも何が起こっていたのかも、話せたのはずっと後年だった。

 其の頃は何故遇ってしまうのか分からなかったし、避け方も躱し方も分からなかったから、本当に苦しかった。
 遇ってしまった後は身体が重く、繰り返し頭の中で其の状況を観ている感じがした。
 今は遇ってしまっても、余程の場合でなければ怖がる事も無く、避けたり躱したりしなくても観ずに居る事が出来る。
「あれも学びだったのだ」と理解出来る。

 《死》によって身体から離れてしまうと、今まで出来た事が出来なくなってしまう。
 小一の時の私は、病気で母が死んでしまったら、一時の我慢と頑張っている事が永遠になってしまうのだと思った。
 夕方になっても帰って来ない、参観日に来て貰えない、大好きな玉子焼きを作って貰えないし、頭を撫でても貰えない。
 ……だったら、私も死んじゃえば母と同じ処へ行けるのかな?
 そしたら、今度は父や兄に逢えなくなっちゃうのかな……?などと思っていた。

 生きて身体が在る内は『居る』と分かっているのに、死んで身体から離れたら『居ない』と納得しなければならなくなる。
 でも父も母も兄も『居る』のだ、間違いなく。
 多分私の認識の中では、父も母も兄も其の『身体』を指してはいなかった。事実、後年父を亡くしたが、『失くして』も『無くして』もいない。
 父が『身体ではない』ならば、私も『身体ではない』筈。否、誰ひとり『身体ではない』筈。

 でも『既に身体から離れたヒト達』は身体にしがみついているようだった。
 死んでいる事実は飲み込んでいるのに、もう自分が乗っていた身体は無いのだと気づいてないようだった。
 だから、寒い熱い、苦しい痛い、お腹が減ったなどと言っていた。
 だが彼らの身体はもう無いのだ。なのに彼等は存在する。
 ……此れは、誰ひとり『身体ではない』証拠ではないだろうか?

 「平和ボケ」という言葉が其のまま当て嵌まる日本に生まれたから、何か事が起るたびに過剰反応したのかもしれない。
 小学生の時、其の頃起ったハイジャック事件で、テレビから聞こえた或る政治家の言葉に本気で耳を疑った。
「人命は地球より重い」
 と、其の政治家は言った。
 勿論言いたい事は分かる。其の意味も理解出来る。
 だが比喩が不味い、不味過ぎる。
 当時は、人質を解放させた自分の手柄を格好つけて誇張している事への違和感だと思った。
 だが今は、其の政治家の物事への理解の足りなさが露見してしまった拙い比喩だと思っている。
 ……横柄なのは承知の上、大事なのは器より中身でしょ。其のハイジャック犯を逃がした事で、其の後どれだけの被害者が出たのか……。
 勿論生命は大切だ。今生の行を恙無く終える為にも、身体は大事な乗り物なのだから。
 でも地球の重要さや宇宙全体へのバランスを考えた時、其の政治家の表現は拙い比喩だとしか思えない。
 第一比べるモノが違い過ぎる。
 もしそう言うのなら、全ての人命を尊重すべきだし、其の姿勢を見せるべきだ。
 勿論生命は大切だ。でも地球と一緒にするな。
 其れより何故生命が大切なのかをしっかり学んで理解出来るような社会を整えるべきだ。
 政治家って、そうゆう仕事なんじゃないのか?
 誰もがそうゆうリーダーを待ち望むから、英雄伝は廃れないんじゃないか!……などと、幼いながら熱く思っていた。

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みかえる白書2

 友人達の言う通り、確かに波乱万丈の毎日だった。

 今生での一番古い記憶は、二歳の時おたふく風邪に罹った時。
 満月の綺麗な夜、泣きくずって父の背に揺られて散歩した時に「何で月があんなに遠いんだろう?昔はよく行ったのに」と、其の時のボキャブラリーの範囲で思った事。
 勿論根拠は無いし、何故そう思ったのか分からない。
 ただ其の「昔」というのが、どうも此の地球に生まれる以前の事のように思えて仕方がない。
 ……地球に生まれる以前となると、どれ位昔なのか想像も出来ない。まぁ、前述の『堕ちた』頃よりは後だろうが。
 兎に角、今生で一番古い記憶が其れだ。

 よく不思議なモノを観た。
 幼い頃一番悩まされたのが、ヒトの胸の前に走る文字だ。まるで電光掲示板のようで、何故か、口から出るのと違う文字が並んでいた。
 例えば新しいお洋服を着せてもらって、ぜひぜひ褒めて欲しくて見せに行くと、
「あらぁ~新しいお洋服ね。可愛いね、よく似合ってるわよ」
 と言っているヒトの胸の前に、
『どうせ何を着たって直ぐにドロンコにしちゃうのよ、此の子は!』
 と、走る文字が観えた。
 そんな時は要求通り褒めて貰っても、其れ以上に良い事を言われても、其の相手を睨み返していた。
 当然「素直さの欠片も無い可愛げのない子」という印象を与え、孤立した。
 ……確かに可愛くない子供だった。

 勿論逆もあった。
 憎まれ口を叩いているヒトの、本音を綴った文字が走るのも観た。
 でも誰にどう説明しても分かっては貰えなかった。……説明も下手だった。

「電光掲示板のように文字が走っていく」と解釈したのは文字が読めるようになってからで、文字が読めない頃から《其れ》は観ていた。
 だから、読んでいたのは文字ではなかったのかもしれない。

 成長と共に、文字を読むより、聴こえて来る、映像を観るという感覚の方が多くなり、より複雑で、時に美しく、時にグロテスク、観るだけで動悸が起るような場合も多かったし、其の内匂いまで感じるようになった。
 此の、匂いというのは始末に悪い。身体の具合まで悪くする。頭痛と吐き気が堪らない。
 自分の視界に他人を入れないようにしないと、苦しくて堪らない事がしょっちゅうあった。
 誰かが悪いわけではない。私が敏感過ぎるのだ。頭で考える分には何でもない事も、観えて聴こえて匂ってしまうとガマン出来なかった。
 だから、独りで過ごす事が多かった。

 独りで居る時、一番の愉しみを与えてくれたのが読書だった。
 新しい知識を得たり想像を膨らませたり、物語の中を泳ぎ回る感覚が堪らなく愉しかった。
 其れに独りで本を読んでいれば、話し掛けて来るヒトは滅多に居なかった。

 小学一年生の時、母が甲状腺の癌で入院した。
 元々鍵っ子だったが、夕方になっても帰宅しない母を待つのはとても寂しく辛かったと記憶している。
 段々秋が深まる季節に差し掛かっていた為、薄ら寒さが寂しさを倍増し、夕陽が落ちてもなかよし山(小学校に在った遊具・コンクリートで盛られた山の上に可成り高い滑り台があった。(今は場所も滑り台の高さも変わっている)の滑り台の上でぼんやりしていた。
 当時流行った『時には母のない子のように』という歌をよく口ずさんだ。
 母は手術をし、其の最中に一度心臓が止まった。幸い助かって未だ永らえているが、今も病弱なのは変わらない。

 私がヒトの《死》を初めて真剣に考えたのが、丁度此の頃だった。
『何故生まれてきたんだろう?何の為に生きるのだろう?何故此処に居るんだろう?』

 其の疑問をずっと抱えて今日に至っている。

Cosmos-Michael

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みかえる白書1

「本当、ミケちゃんの人生って波乱万丈で、端で観てる分には小説よりも面白そう。でも絶対に代わりたくないな。だって物凄く大変そうだもん」
 今まで何回此の台詞を耳にしただろう。
 其の度に、何てややこしい地図を選んで此の道(今生)を歩いているのだろうと思った。

 友人達はよく観てる。本当にシッチャカメッチャカな人生だ。
 でも此れが私の最短距離だし、たいした寄り道もせずにメイン・ストリートを突っ走って来た筈だ。……うん。面白そうでも代わりたくないなら其れで結構。
 此のまま突っ走って行く先が気になる方は眺めていて下されば良いし、眺めるのが飽きちゃった方は自らの今生の行に没頭して頂けば良い。みんなとの友情が変わるわけじゃないから。

 『彼諭流』『唯眞仁』『安津彌』の三部作を書いている内に、私の中から芋蔓式に色んなモノが出て来てしまった。
 其れ等を表現して、伝えて、其々の人生や精神の中に何等かの葛藤が生み出され、其々の今生のあり方を見直すきっかけに成って頂ければと思った。
 沢山の方々が少しでも魂を澄ます行を修める事が出来て、大いなる意志の中に還って逝けるように。

 私の中に『彼諭流』『唯眞仁』『安津彌』、あの三部作の世界観がどんな風に生まれたのか。
 自らを省みたくなったので、徒然なるままに書き記す事を試みる。此の先表現していく事の方向性も確かめたいし。
 私自身、今生の行を恙無く修める事が出来て、大手を振って還って逝くのが目標だ。

 物語の紡ぎ手としての名を選ぶ時、過去に使用していた名を全て捨て、本当の自分に一番近い波動を感じた名を用いる事にした。

 《天乃みかえる》。

 しゃらっと読むと自分でも退く名だけれど、客観視した自分には近い。

 《天乃》は「《天》に属す」、《みかえる》は「神に似たる者は、誰か」という意味がある。
 どう客観視した自分に近いかというと、私には『遥か昔、後ろ向きの姿勢で《天》から堕ちた』という感覚があった。
 ……そう、『堕ちた天使』だ、という感覚が。

 魂は元々《天》に属し、生きる経験を愉しみ、様々な行を修める為に重い器である肉体に内包されて降りて来る。自らの強い意志と決意でもって降りて来るのだ。
 ……でも私は堕ちた。
 どう考えても堕ちたのだ。
 其の『遥か昔』というのがどれ位昔なのかは分からないが、宇宙創生と同じ位だと仮定すると、余程「原罪意識の強い魂」という事になるのだろうか。
 まぁ、どの天使でも良かったのだが、たまたま私が今生の誕生日にミカエル祭の日を選んでいた事もあり、縁あって《みかえる》を名乗る事にした。

 ミカエルは大天使(下級第二位=全九位中八位)に属し、熾天使(上級第一位=最上位)ルシフェルと一対(一説には双子)で創造された最初の天使なのだそうだ。……しっかし、一対(双子)で創造されているのに階級に差があり過ぎるのって、どぉよ?
 全ての天使達の崇敬の対象である出来過ぎの相方に、ミカエルはコンプレックスを感じなかったのだろうか?其の地位から蹴落とすチャンスを狙ったりしたのだろうか?其れとも、何にも気にならない程仲好し小好しだったのだろうか……?

 ルシフェルには「光を運ぶ者」という意味があり、《天》の右腕として全ての天使を束ねて居たんだそうだ。だが「驕り」が元で堕天してしまった為、其の後熾天使に昇格したミカエルが天使長になったんだそうだ。
 ……しっかし、大天使が熾天使、下級第二位から最上位まで一気に駆け上がるなんて、どぉよ?
 一体ミカエルはどんな行を修めたのだろう?聖書によると、天界でサタンの軍を打ち破り地に落とした功績のお陰らしいが。

 「光を運ぶ者」と「神に似たる者は、誰か」。

 此の一対の天使を比較した場合、ミケ的には「神に似たる者は、誰か」の方が驕って偉そうな態度をするように思えた。
 其の天使のお祭りの日を選んで生まれているのは、物凄く象徴的な感じがした。

 よ~く憶えておきなさい。
 おまえは「驕り高ぶって《天》から堕ちた天使」だよ、と。

 だから、頑張って今生の行を修めて《天》に還れるように、其の気持ちを忘れないようにしようと思い此の名を選んだ。

 《天乃みかえる》。

 ……うん。物凄く良い名じゃないか!

Cosmos-Michael

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還るまえに

 また、日本の何処かで誰かが死んだ。……生まれる前の青写真を無視して。

 どうしてこんなに死に急ぐのだろう。どうしてこんなに、死に急ぐヒトが増えてしまったのだろう。生命が軽んじられ、人生が薄っぺらくなり、学びを投げ出すヒトが多いのは何故だろう。

 人生は、終わりの時まで大切に生命を運ぶ過酷な作業だ。其の人生を満足して終わるには、課せられた学びを修め終える必要がある。

「出て来た処」より高い処へ「還る」為に、器を選び、家族を選び、置かれる状況を選び、ある程度青写真を決めて降りてくるのに、其れを無視して還る事を選ぶのは、自らの魂と、魂の所属するグループと、見守って下さる御守護の方達に対する裏切りでしかなく、「出て来た処」より下へ「戻る」しかなくなる。

 器があると器があるなりに学べる事が多いので、ついつい過酷な物事を扱き寄せてしまいがちだが、通常は其の器で学び終えられないような事、乗り越えられない事は寄って来ない。最終的な場面に追い詰められる前に、幾つも選択の機会が必ず訪れている。

 其の多くは選択する場面に遭った時と選択する成長に至った時で、次の展開や次の成長に関する学びの壁がド~ン!と前に立ちはだかるのだ。

 選択の時を迎えているにも拘らず選択出来ない場合は、想定外の出来事によってそうせざるを得なくなったりもする。其の時流れに逆らったり流されまいと踏ん張ったりすると、「乗り越えられない自分」を《内》に創り出してしまう。

 所詮、魂は《天》の領域。神は何処かにいるのではなく、自らの《内》に在る。

 人生は想ったようにしか成らず、成らないとするなら、想い方か行動か、何方かが足りないのだ。

 人生は実に曖昧なモノだ。生きている実感など、たまにしか味わえない。けど、何時でも実感出来るようになると、想ったようにしか生きられないのが分かってくる。

 此の器で居る内は、選んだ家族や取り巻く状況は変えられないが、一番簡単に変えられるモノが、人生全てを支配するのだ。

『魂は《天》の領域、神は《内》に在る』

 此の事実を受け入れて理解すれば、世界は一変するのだ。

 さぁ、此処から遣り直そう。学ぶべき事は沢山あり、成長は想いのままだ。

 折角生まれてきたのだから、還るまえに、己の《内》の神に出逢うのもいいじゃないか。

Cosmos-Michael

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